100 Stories1990 グローバルのフロントランナーAN事業

年間生産量能力アジア1位、世界で2位を誇る旭化成のアクリロニトリル(AN)事業が、世界で市場を拡大している。

旭化成のAN事業は、1960年のソハイオ社とのANライセンス契約からはじまった。しかし、1977年には技術交換契約が切れ、両社は触媒開発等でそれぞれの道を歩み始めることになる。しかし、当初の契約に含まれていた永久守秘義務については継続され、旭化成の海外展開の足枷となっていた。

変化の兆しが見えてきたのは10年後の1987年、ソハイオ社がイギリスのBP社に吸収合併されることになったのがきっかけだった。BP社は合併を契機に自社の触媒より5%高いAN収率を達成していた旭化成の触媒技術に注目し、以後2年間の交渉を経て、1990年に旭化成とBP社の米子会社であるBPケミカルズ社間の契約が締結されたのだ。

この契約は、BP社による旭触媒の製造、使用、販売を許諾するライセンス契約だったが、旭化成にとっては、念願の永久守秘義務が撤廃されることを意味していた。これは当時会長職にあった宮崎の強い意思表示とともに、交渉にあたった社員の努力、そして旭触媒への高い評価が交渉を後押しし、見事成果に結びつけたものだった。守秘義務の足枷が取れたことで、旭化成はグローバル営業戦略へと転換していく。

1994年には有機原料事業部を発足し、AN、スチレンモノマー、MMAの3モノマー事業を同時編入。これらを自消から外販重視、特に東アジアマーケットの積極的な開拓に乗り出し、ANについては世界マーケットを視野に世界No.1を目指すこととなった。

実際、当時ANの主な用途である繊維、樹脂事業は国内で頭打ちとなっており、繊維は労働集約型産業で人件費がコストに占める割合が大きいことから、人件費の安い中国を中心としたアジアに製造拠点がシフト。ABS樹脂需要が韓国、台湾で飛躍的に伸びるなど国際的需要構造が変化していた。

アクリル繊維メーカーはANを自社内で調達することが多いのに対して、ABS樹脂企業は自社でANを製造する企業はほとんどない。ANプラントを持っていない中国その他のアジアトップ企業に入り込み、そのユーザーにとってNo.1サプライヤーになるというのが旭化成の戦略だった。

また、アジアの成長に伴って繊維関係でもANを持たない独立系企業が増えつつある。BP社との守秘義務が解消されていた旭化成は、国内他社と違って海外進出が自由に行える上、旭触媒という大きな武器がある事で欧州企業にも太刀打ちできる有利なポジションにあった。旭化成は世界的に見て成長産業であると判断し、グローバル展開の道を歩み始めた。

有機原料事業部長の渋川賢一(しぶかわ けんいち)はグローバル展開に向けて次のように語っている。

「成長市場は中南米、中東・アフリカ・南アジア、アセアン、そして韓国・台湾・中国の四つの地域です。これらの地域では、地域ごとの需要ギャップが大きいのですが、需要の伸びに対して生産能力はほとんど増えていません。そうした成長市場での販売を強化するため、市場別生産体制いわゆるグローバルオペレーション体制を構築していきたいと考えています」

可能性のある事業だが足枷があったAN事業。しかし、虎視淡々とチャンスを伺い、見事にチャンスをモノにすると、大きな目標に向けて舵を切っていった。