Pathfinder 開拓者たち

野口 遵(のぐち したがう)

1873年、金沢生まれ。1896年、帝大(現、東京大学)電気工学科卒業。日本窒素肥料(現、チッソ)を中核とする日窒コンツェルンを一代で築いた後は、世界に誇る化学工業都市の建設を目指して朝鮮半島に渡る。北朝鮮にある水力発電所は現在も稼働している。「電気化学工業の父」とも称される。1944年没、享年72歳。

のべおか振興の母(野口遵顕彰会、2003年4月発行)

旭化成創業者である野口の科学者としての姿、世界的な事業家としての発想やたくましい行動を知るとともに、延岡の発展に尽力した功績や歴史を学んでもらう冊子。延岡市の中学校の副読本として配布されている。

宮崎 輝(みやざき かがやき)

1909年長崎県生まれ。1961年に52歳で社長に就任。1972年にワシントンで行われた日米繊維交渉では日本化学繊維協会会長として、政府間協定による輸出規制を阻止するために奮闘、1981-83年には、「増税なき財政再建」を目指す、第二次臨時行政調査会委員を務めた。1992年没、享年82歳。