私はこれまで数多くの事業を手がけてきた。幸いどの事業も苦労の連続ではあったが、従業員諸君の努力のおかげで、なんとか軌道に乗せることができた。誠にありがたいことである。
ところで、事業を進める場合、私がいつも真っ先に考えたのは、どんな人間をその事業の責任者に当てるか、ということである。昔から『事業は人なり』と言われているが、ある事業が成功するかどうかは、人事配置でほとんど決まってしまう。
例えば、かつて3新規事業を手がけた時、私はナイロン事業部長に村本誠(むらもと まこと)君(故人)、建材事業部長に黒田義久(くろだ よしひさ)君(元副社長)という労務の専門家を、合成ゴム事業部長に研究畑一筋の小林祐二(こばやし ゆうじ)君(現蝶理会長)を、それぞれ抜擢した。3人とも販売にはしろうとであったが、見事に私の期待にこたえてくれた。
また、1972年に住宅部門に進出した時、もっとも若くて馬力のあった都筑馨太(つづき けいた)君(現副会長)を事業部長に、そしてその後任に総務・秘書畑の長い山口信夫(やまぐち のぶお)君(現副社長)を送り込んだが、2人とも住宅部門を旭化成の大きな柱に育ててくれた。
こんな具合に、私はまったく違った分野に人材を配置するので、マスコミには、時々、『意表をつく人事』と書かれることがある。確かに外見だけ見れば、そのように映るかもしれない。
しかし、本当にすぐれた労務屋や技術屋なら、販売も担当することができるし、有能な営業マンなら管理部門を受け持つことだってできる。
要は、その人物の器である、と思っている。なかには、適応性のない人もいるから、その人たちにはそれぞれの専門分野で活躍してもらえるように十分配慮するが、その見極めをつけることがトップに課せられた重要な役割であろう。
いずれ社長交代が言われると思うが、後継者の第一条件としては、この器の大きさと人間としての誠実さである。もちろん、健康、バイタリティー、経験、あるいは責任感など、様々な資質がトップには求められる。しかし、結局のところは、器の問題に帰着するのではなかろうか。
なぜなら、社長の立場は、副社長以下とは1オクターブも違う総合的な判断と決断を必要とするからである。
同時に、後任のトップを決める際には、それによって企業全体が力を合わせていける態勢になるよう配慮することが大事である。もちろん各社によって事情は異なろうが、いずれにしろ社長一人で企業を運営できるものではない。要は、人事の組み合わせが重要なのである。
私はかねてトップというのは、医者にたとえれば、大学教授となんでもこなす農村の開業医の両方の条件を兼ね備えていなければならないと思っている。つまり、大学教授のような深い専門的知識と教養、開業医のようないろいろな病人を見分け得る実際的な診断能力の2つを持っていることが大切なのである。
さらに忘れてならないことは、『苦労を楽しむ』という精神ではなかろうか。社長室には、この言葉を額に入れて飾ってあるが、いわば私の座右の銘である。
事業というのは、いつでも困雖を伴うものだ。苦労なしで軌道に乗せたことなど一度もない。だが、苦労すればするほど、それを克服して成し遂げた時の喜びは大きい。もっとも、その時は別の苦労が起こっている。人生はこの連続である。
これはなにもトップだけに限ったことではなく、仕事をする場合、どんな人にも共通する問題だが、トップはより一層この精神が求められている、ということである。
現に私は、困難な問題が起これば起こるほど、それを解決しようと闘志を燃やしたものである。苦労と苦悩は違う。この境地に達するまでにはやはり10年ぐらいはかかった。
人間は一生勉強である。ボケて余生を楽しむより、なにか常に頭を使っていた方がよい。私はこのことを肝に銘じて、これからも勉強を続けていきたいと思っている。
- 宮崎が揮毫した色紙「苦労を楽しむ」