私の履歴書ー宮崎輝20. 第2次臨調委員

1981年3月、私は第2次臨時行政調査会の委員に任命された。この調査会は増税なき財政再建を基本理念とし、抜本的な行政改革案をつくるのが目的だった。
私は1979年4月から6年間、行政監理委員を務めてきたが、引き続き産業界代表の一人として臨調に加わることになった。
委員は9人で、会長は土光敏夫(どこう としお)さん(経団連名誉会長)であった。
臨調は週1回のペースで開かれたが、各答申をまとめる大詰めの段階では、土曜、日曜もなく、連日、夜遅くまで答申案づくりに没頭した。
答申は1983年3月までの2年間に、緊急答申、基本答申、最終答申の3段階に分けて総理大臣に提出した。その都度、新聞紙上で大きく扱われたから、答申の中身についてはご存じの方も多いだろう。
私の感想をひと言でいえば、大変な努力にもかかわらず、答申の中身は必ずしも満足できるものではなかった。もっと根本的な問題にメスを入れたかったのに、実現可能性を重んじるあまり、最大公約数の意見に従わざるを得なかったからである。
それでも、予算をマイナスシーリングにして増税を抑えたり、国鉄·電電公社の民営化を打ち出すなど、相当な成果は得られたと思う。なによりも国民全体が、財政再建と行政改革の重要性を認識したことは、非常なプラスであった。
ところで、悪化した財政を立て直す基本は、まず歳出のカットであり、次いで税金の効率的な使い方にあると、私は思っている。税率を変えないで法人税をふやす施策を考えることも、重要である。しかし、行政の担当者はどうも技術的方法で増税を図ろうとする傾向が強かった。例えば、従来、退職給与引当金は自己都合による退職金の50%まで非課税だったのに、2年前にはそれを40%に下げ、さらに今回の臨調では30%まで引き下げようとする動きがあった。
これは実質的な増税を意味するから、私は強力に反対して一応食い止めたが、今後も出てくる可能性はある。注意を怠ってはならない点だろう。
そもそも財政が悪化した最大の理由は、企業の成長鈍化による法人税の伸び悩みにある。従って、処方箋は各業種によって違うけれども、共通していることは、企業に活力を与え、税収の増加を図ることである。しかし、この問題は残念ながら取り上げられなかった。
歳出のカットにしても、基本は人や仕事を減らし、人件費を削減することにある。なにしろ、国、地方自治体、特殊法人を合わせると人件費は28兆円にものぼっているのである。
人員削減のむずかしいことはよくわかっている。だから、なにも現在働いている人たちまで辞めさせろと主張しているわけではない。
毎年、公務員全体の4%程度が自然減するから、新規採用を半分の2%に抑えるだけで、5年後には年間2兆5,000千億円の人件費が浮くと言っているのである。
民間なら業績が悪化すれば、新規採用をストップし、場合によっては希望退職すら募る。臨調の答申でも、一応、5年間で人員を5%削減することにはなっている。しかし、一方では新規採用を認めている。答申ではこれを抑制する、とは書かれているが、これではどの程度純減するかわからない。税金の使われ方もいろいろ問題がある。いちいち指摘する紙数はないが、例えば国と地方の財源配分の問題に触れてみよう。
現在、国は全国の地方自治体に、地方交付税交付金を補填する意味で約11兆円の財政投融資資金を貸し付けている。ところが、貸付金の金利はまったく取らず、そのうえ元本も半分は国が負担している。いろいろ経緯があってこうなったことは知っている。しかし、理由がどうであれ、無利子でカネを貸し付け、元本の半額を肩代わりしていることは事実である。
仮に、現在の貸付金利年7.3%で計算すると、年間で8,000億円近い利子が国庫に入ってくる。それだけ財政赤字の改善につながるし、地方財政の緊縮化も図れる。1983年度から利子の半分を取るようにはなったが、全部負担させるのがわれわれの常識だ。
鈴木善幸(すずき ぜんこう)総理(当時)は、人事院勧告の凍結によって全体で約1兆円の歳出をカットした。短期的に見れば、われわれが臨調で2年間審議したことよりも、この方が赤字減らしによっぽど効果がある。総理がリーダーシップを発揮すれば、相当なことができるのである。
結局、増税なき財政再建は、政治の問題、なかんずく総理の決断と実行力にかかっている。私は審議に参加した者のひとりとして、それを見守っていきたいと思っている。

  • 鈴木首相(右)に答申を手渡し握手する土光臨調会長、宮崎は左端
    (1982年7月30日)毎日新聞社アフロ