私の履歴書ー宮崎輝15. 多角経営

マスコミを中心に世間の一部では、時々、旭化成のことを「ダボハゼ経営」と呼んでいる。恐らく、旭化成の事業展開が、ダボハゼみたいになんにでも食いついているように見えるから、そんな呼び方をするのだろう。
しかし、それはまったくの誤解で、事業を知らない人たちがおもしろがって呼んでいるに過ぎない。確かに旭化成は私自身も覚えきれないほど多種多様な製品をつくっている。つまり、合成繊維はもちろんのこと、合成樹脂、合成ゴム、食品、薬品、医療機器、あるいは住宅・建材など、衣食住にかかわる分野にはほとんどと言ってよいほど進出している。
従って、表面的に見れば、なぜ繊維屋がハンバーグや抗ガン剤、人工腎臓など異質の製品をつくっているのか、不思議に思えるのかもしれない。
しかし、これらは住宅・建材を除けば、すべてが一本の線でつながっている。決して落下傘で飛び降りるみたいに、突飛なことをやっているわけではない。
旭化成は、もともと野口遵(のぐち したがう)さんの興したアンモニア合成事業の有効利用を図るため、日本窒素肥料の子会社としてスタートした。それだけに、基幹となる技術はあくまでもアンモニアに関連したものである。
長い間、旭化成を支えてきたベンベルグにしても、コットンリンターをアンモニアの溶液で溶かすことによって生まれた製品である。
また、自家発電所の余剰電力の有効利用として、食塩の電気分解によるカセイソーダの製造が始まり、そのカセイソーダを製造する際に発生する塩素から、調味料としてのグルタミン酸ソーダが企業化された。
グルタミン酸ソーダは、その後、発酵法によって製造されるようになったが、その発酵技術が医薬品事業に結びついている。人工腎臓にしたって、ベンベルグの中空糸技術を応用したものである。
表面的にはなんの関連もないように見える各事業も、すべてが有機的につながっているわけだ。その意味で技術の積み重ねが今日の旭化成をもたらした、といえるだろう。ダボハゼ経営でないことがおわかりいただけると思う。
だが逆に言えば、技術の応用の範囲にとどまっていたから、旭化成はもっと大きくなることができなかったのである。私は社長に就任してから今日まで、いろんな事業を手がけてきたが、結局は先輩の残してくれた遺産の周囲をうろついていたに過ぎなかったような気がする。
30年前は、松下電器産業と旭化成は売り上げ、利益とも、ほとんど同じだった。それが、今やこんなに差がついてしまったのは、松下幸之助という偉大な人物がゼロから出発して、新しい分野に積極果敢に入っていかれたからだ。
その点、私はなまじ先輩の残してくれた遺産があったから、その土台の上に乗ってあえて未知の分野へ飛び出そうとはしなかった。そこが松下グループと旭化成グループの差になっている。だからいい意味で『ダボハゼ』なのは、むしろ松下さんの方ではなかろうか。
それでも私は、既存技術の応用範囲とはいえ、積極的に多角化を図ってきた。繊維だけにとどまっていては、企業の発展はあり得ないと考えたからだ。
もっとも、新規事業は、研究開発や工場の建設、市場の開拓などに莫大な投資を必要とするから、しばらくの間は赤字を覚悟しなければならない。 私はかねがね「企業は『健全な赤字部門』を持つべきだ」と言っているが、それは赤字部門を黒字にしようとする努力が企業の活力につながる、と信じているからである。現に、旭化成はこれまで常に赤字部門を抱えてきた。
ただし、健全な赤字部門を持つには、2つの大事な前提条件がある。ひとつは、赤字部門の事業に将来性があること、もうひとつはその赤字に耐えられるだけの体力が企業にあることである。
その事業に将来性があるかどうかを見極めるためには、経営者に努力と能力が求められることは言うまでもない。少なくとも私は、そうした努力を怠らなかったつもりである。
世の中には、こぢんまりとまとまって借金がほとんどなく、自己資本比率の高い、俗に「盆栽経営」と呼ばれる企業もある。それはそれで立派だが、私はそうしたやり方をとらない。やはり企業というのは、財務内容もよくしなければならないが、それだけでなく『秘められた可能性』が大事なような気がする。

  • 「旭味」「ミタス」新詰合セット(1963年)
  • ベンベルグ中空糸の人工腎臓