100 Stories1995 中国人が活躍する、信用される日系企業に

旭化成の中国事業は1988年の北京事務所設立からスタートした。そして、1995年の上海事務所設立によって、中国への進出が本格的に始まった。繊維、メディカル、水処理、エンジニアリングプラスチック、化学品と、様々な事業を、杭州、蘇州、張家港、南通など複数の生産拠点で立ち上げ、稼働させていった。

苦労の末、中国で事業の展開を実現した一つが伸縮性に優れたスパンデックス繊維「ロイカ」だ。1997年にロイカ糸を使用した編み立て(ニット)、染色工場として稼働開始した「杭州旭化成紡織有限公司(HAT)」、2003年にロイカ糸の生産を開始した「杭州旭化成アンロン有限公司(HAS)」では初めてのことばかりであった。

1990年代当時、繊維事業では顧客であるアパレルが生産拠点として中国に進出していくのにあわせて「当社も進出するべきだ」という動きが活発で、ロイカ事業でも検討を進めていた。
HATの設立はもともと、大手インナーのアパレルから旭化成に中国での製造拠点を設立しないかと声がかかったことから始まった。短期間で事業を軌道に乗せるためには、中国の地元資本の協力を得ることも考えられたが、プロジェクトのメンバーは、最初は苦労しても自分たちの意思で事業を柔軟に運営できることが、長い目で見た時に大切だと考え、日系企業のみで出資する企業体をつくることにこだわった。

これをいかに実現するか。当時中国での工場立ち上げの経験も知見もなかったロイカ事業は、知見のある日本企業との共創で進めることにした。染色は金沢の大手染色会社に、編立ては山陰の編生地専業会社に、ロジスティクスなどの現地対応は日系大手商社にと、様々な日経企業に協力を仰ぎ、中国での事業展開のノウハウを身に着け、技術や人材を導入した。そして設立当初の目標通り、中国企業との合弁ではなく、株式構成が日系企業100%、旭化成の意思で運営できる会社となっている。

一方、工場の建設については、工事監督は日系大手ゼネコンに依頼したが、設計は現地の設計会社に依頼した。理由は現地で使い勝手が良い建物にするためだった。今となっては笑い話だが、日本の事業部内から「なぜこんなに土地を無駄に使った設計なのか?」といった声もあったようだ。

その後、2003年に設立したロイカの原糸工場のHASでは、当社の製糸の知見を活かすとともに、HAT立ち上げメンバーの経験も活かし、100%旭化成資本で、効率的に土地を使用する建物を設計した。

担当者は何事も手探り状態だった当時を振り返る。「現在は事業立ち上げのサポートを投資公司がしてくれるが、当時はアドミ機能が充実しておらず、法務部のサポート以外で必要なことは、事業メンバーで一生懸命手作りしていった。」

当時は上海事務所、現在は中国投資の従業員である中国人メンバーは、中国人と日本人の根本的な文化の違いを強く感じ、駐在員と現地スタッフの仲介役を担うことが多かったという。それは、日本人には当たり前なことでも中国人には理解できない、明文化されていない服装や行動の就業ルールであった。
特に職場での私語禁止は中国では成り立たない。日本人が多くて静かな職場では、中国人スタッフはコミュニケーションが取れない、人間関係が息苦しい職場だと感じ、文句が出ることもあった。
このように中国での事業拡大は、中国と日本の文化の違いを理解し、お互い譲歩できるところを探って快適な職場作りをしていくという苦労があったようだ。

上海事務所は2007年に旭化成管理(上海)有限公司となった。さらに2015年には地域統括会社である旭化成(中国)投資有限公司を設立し、中国にある旭化成グループの現地法人を傘下に収めることになった。提供するサービスは、融資、財務会計、人事、IT、広報、法務、知的財産、環境安全等、多岐に渡っている。また、ここ数年で数人の幹部は中国人のメンバーが務めるようになった。現地法人の総経理だけではなく、投資公司の法務部長や環境安全部長も中国人が担っている。

2022年3月現在、旭化成の中国事業は現地法人が約20社あり、従業員は約2000人という規模になっている。