100 Stories1949 企業活動を支える株式上場と市場の変遷

旭化成の誕生は戦後間もなくのことであった。戦時中の情勢にも大きく影響を受けたこの時期に、株式は企業活動を支える上で重要な役割を担っていた。

旭化成の前身である日窒化学工業は、旭化成創業者の野口遵が逝去した2日後となる1944年1月17日に軍需会社の指定を受ける。軍需会社に指定されると延岡も空襲を受けるようになり、1945年には延岡市街の大半が焼失。ベンベルグ工場とレーヨン工場は直撃を逃れたが、多くの工場は大きな被害を受けた。

その半年後には化学工業に占める比重が極めて大きいという理由から、日窒も財閥解体の対象企業に指定されることとなる。日窒化学は平和産業に転換を決め、人絹・肥料・産業火薬を中心とする会社になり、1946年に旭ベンベルグ絹糸から「旭」の文字をとって、旭化成工業として再スタートし、現在では発行済み株式数13億株を超える旭化成の株式も産声をあげることになった。

株式の発行は、企業にとって資金を調達する手段の一つである。上場するメリットは、資金調達方法の多様化と資金調達力の向上、知名度・信用力の向上などとともに、認知度向上もあった。

1949年に証券取引所が再開されると、旭化成の株は東京・大阪・名古屋証券取引所の市場1部に株式を上場された。1960年代後半から、海外で事業展開するのに合わせて、1969年ルクセンブルグ証券取引所、1973年西ドイツのフランクフルト証券取引所へ株式上場するなど、国外転換社債の発行も行っている。

1984年には、国内の7証券取引所で指定銘柄に選ばれた。株式流通市場において、市場性が豊かで、しかも市場動向を敏感に表す銘柄の中から、その業種を代表する銘柄が選ばれるのが指定銘柄である。指定銘柄には旭化成の他に、トヨタ自動車や三井物産、松下電器産業など錚々たる企業が名を連ね、各業界を代表する銘柄ということにも頷ける。

しかし、特別な銘柄に限って適用してきた有利な取引条件を一般銘柄にも拡大するために、1991年にこの指定銘柄制度が廃止。旭化成は1993年には証券取引所上場ポスト業種別区分を繊維から化学に変更された。化学のポストに変更される以前より、宮崎輝は「旭化成の業態は化学の一言で言い表せるものではない。“生活統合”というポストはないのか」と言い、一見異業種のように見える様々な事業を展開しながら、その根っこは関連しあっているという“イモヅル経営”を目指した宮崎の考えがここに現れている。

近年では2013年に大阪証券取引所が東証に統合され、名古屋・福岡および札幌の証券取引所の上場を廃止し、東京証券取引所のみに上場。2017年には単元株式数を1,000株から100株に変更。1株から2,000株まで8種類の単元があるが、これらは企業ごとに決められていて、旭化成は元々1,000株であったところを変更となっている。

2022年、持続可能な開発目標(SDGs)の達成を後押しする新しい制度が次々と始まる。旭化成は、2022年4月より、東京証券取引所の上場区分によって生まれたプライム市場に上場。グローバルな投資家との建設的な対話を中心にすえた企業としてのプレゼンス向上をはかっていくことになった。

※プライム市場 新設される3つの市場区分のうち、基準が最も厳しい市場。海外の機関投資家などが投資対象とするようなグローバル企業で、気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)提言と同等の情報開示が求められる。

  • 株券(見本)1948年