100 Stories1933 旭ベンベルグ絹糸設立と野口遵の決意

世界屈指の人絹糸製造へ。
延岡アンモニア絹糸、旭絹織および日本ベンベルグ絹糸の3社は、1933年に合併手続きを行い、旭ベンベルグ絹糸を設立。資金規模その他においても業界トップクラスとなった。

これは当時、活発化しつつあった人絹業界の企業間競争に一石を投じるものであり、設立時の社長 野口遵(以下、同様)の決意は並々ならぬものがあった。旭化成の企業理念にも繋がる野口氏のメッセージはその決意を雄弁に物語っている。以下に、野口氏の言葉を引用する。

およそ工業というものは、大衆の社会生活に必要なものでなければならぬ。無限に増大する人類の生活資料を、限りある国土においていかに給していくかを考える時、生産組織の改良が必要となり、工業の発展が促されるのである。

しかも人類の生活には日々向上が伴うものであるから、単に寒さを凌ぎ、飢えを潰すことを目的とする最低の生活資料を給することが工業の使命と考えてはならない。多くの人々がより良い生活を営むべく最前の生活資料を、豊富にかつ廉価に供給することによって初めて工業の意義が生まれてくるのである。

近代工業の発達は人類の生活に偉大な貢献を為しつつあるが、世を挙げて生活難の声が益々騒がしいのは何故であるか。これは単に衣食に困っての生活難ではなく近代文化の向上に伴い、より良き生活を為すための悩みからであろう。

すなわち数十年前の生活と現代のそれを比較対照して見ると、例え場末の貧民館においてすらもその生活程度には格段の相違が見受けられる。もし我々の生活が数十年前のままを踏襲しているものとすれば、今日における生活難の声もそれ程大きなものではなかろう。

単に食うため着るためを目的として、ただ生命を繋ぐというならば何も苦悩はないはず、今日生活難の声を聞くその大多数は生活レベルを引き上げようとするところからくるのである。

これは人間の自然の要求であって、だからこそ人類に進歩があり文化の向上が招致されるものである。ゆえに単に衣食を与えてそれを持って生活難が緩和されると思うことは大きな誤りで、我々工業家は飽くまでも大衆文化の向上を念として、最前の生活資料を最低廉価にしかも豊富に与える事をもって究極の目的としなければならない。

ここにおいて大衆的服飾の原糸を提供する人絹工業の如きは最も意義ある使命を有するものと言うべく、我が社は10余年の貴重なる犠牲と経験をもって一路その目的に向かって邁進しつつあるものである。

おもいみるに今日世界を通じて業界の改良に関する研究は種々加えられているが畢竟(ひっきょう)するに原料の安値供給によって真の効果があげられ最後の勝利を獲得し得るものと信ぜられる。そこで我が社は3社を合併して薬品と動力の自給自足を図ることとなったが、その結果コストの低下は必然的に期待でき得るものであろう。

合併に伴って原料薬品ならびに動力の自給を計ると共に陣容を整え、伝統の技術と研究と相まって一段と向上発展を為し、更にこれまで日本に紹介されていなかった高級人絹を供給して新使命を果たし質において量において人絹事業としての完璧を期することができるのである。

かくて初めて工業報国の目的が達せられると同時に人類に幸福をもたらし、そうすることによって我が社の使命が果たされることとなる。

この時から時代環境によって社会は変わっていったが、英知を集めてこれに応えてきた旭化成。社会の変化を先取りして挑戦すること、そして自ら変化していくことは、旭化成グループの企業理念として変わることのない旭化成のあり方となっている。

  • 旭ベンベルグ絹糸 ベンベルグ部 正門(延岡 1938年)
  • 当時のベンベルグ製品