100 Stories1995 阪神・淡路大震災 全壊・半壊ゼロ「ヘーベルハウス」

1995年1月17日未明に起きた阪神・淡路大震災。近畿圏の広域が大きな被害を受けた大震災は、その地域に住んでいる旭化成社員たちにも襲いかかり、家族の安全と生活を守りながら顧客対応にも奔走することとなった。

地震発生当日にまず行われたのが、社員と家族の安否確認だ。幸い社員の死亡や大きな怪我はなかったものの、本人や実家の住宅に大きな被害を受けたケースが多数にのぼることが判明。そこで旭化成は、被災した社員の仮住まいを確保し、グループ全社員に向けての義援金募集も開始するなど、支援体制を整えた。

一方、ヘーベルハウスのお客様緊急対応も地震直後からサービスコールが殺到する状況となった。翌日に各地から応援スタッフが到着するまでは、情報の整理や対策を考える余裕もなかった。旭化成ホームズ社長で、緊急対策本部長を務めた土屋友二は「まず現地の入居宅の状況を確認しなければいけない」と建物の状況を診断できる部隊を被災地へ送った。

調査では、主に重大被災地区の入居済みヘーベルハウスを一棟一棟訪問し、その耐震性を確認。これほど大きな地震を経験したのは初めてであり、詳細な調査が実施された。

そこで報告されたことは、想定を大きく超えるヘーベルハウスの強さだった。広範囲にわたって長時間燃え続けた激しい火災現場跡には、火災を浴びながらも延焼を食い止めたヘーベルハウスが残る。将棋倒しで倒れてきた隣家を支えて持ち堪えたものもあり、「ヘーベルハウスがなければ完全に潰れて建物の下敷きになってしまうところでした」と感謝された。

この調査の結果、ヘーベルハウスは1棟も倒壊せず入居者を守ったことが証明された。しかし、このまま住み続けて大丈夫かという不安の声もあり、改めて構造診断訪問を実施し、補修が必要な場合はその内容も含めて入居者に伝える事で安心してもらった。

そしていよいよ復旧が始まった。この震災でヘーベルハウスの性能を目の当たりにした多くの被災者の方々が、展示場を訪れてくれた。調査結果の報告にも増して、被災者の方々から直接的な反響があったことは、ヘーベルハウスの性能を高く評価してくれたことの証明だ。

周囲の建物が全壊する中でも倒壊せず、火災を浴び続けながらも残ったヘーベルハウス。甚大な被害となった阪神・淡路大震災を通して、その強さが再認識されることとなった。一方で自宅が倒壊しなくても、例えば隣の家が傾きその重力で自宅に負荷がかかり、家が傾くこともある。そのような場合でも、最小限の費用で再生できる住宅が必要だと、新たな制度デバイスの開発につながっている。

建物被害が深刻だった阪神・淡路大震災において、ヘーベルハウスは全半壊ゼロという強さを発揮。激しい揺れでも倒壊せず、地震後に発生した大規模な火災でも建物が防火壁となって、近隣の類焼・延焼も食い止めた。