100 Stories1941 野口遵が財産を投げ打って設立した野口研究所

創業者の野口遵が、私財3,000万円のうち2,500万円(現在の価値で250億円)を投げ打って設立した野口研究所。「化学工業の振興を期するため、諸般の研究並びに調査を行うとともに広く重要なる研究に対し援助をなし、なお研究者の養成、発明・考案の工業化にも力を注ぐ」といったことが設立の趣旨となっている。

1941年、日本窒素肥料の社長だった野口によって設立された「公益財団法人野口研究所」は、横浜、延岡、興南に研究所を開設した。その5年後には、各研究所を東京の板橋に移転し、創立80周年を迎えた2021年も同じ場所で活動を続けている。調査部を東京神田に新設し、主に水力資源と森林資源の活用に関する調査を行っている。

また2009年度より大学の若手研究者の独創的研究を支援するため「野口遵研究助成金」を開始。2014年からはこの制度をブラッシュアップし、新たに「野口遵賞」を設け、毎年過去の野口遵研究助成金採択者の中から1名を選出し、副賞として500万円を大学等の所属研究機関へ奨学寄附金として支給している。

設立趣旨を尊重しつつ、時代の社会ニーズに応えるような基礎的研究、研究助成および人材育成を目的とした事業を進め、アセチレン、イオン交換樹脂、木材化学、森林資源開発等の調査研究に大きく貢献してきた野口研究所。創立80周年を迎えた2021年現在も、研究領域を生命現象への取り組みとして「糖質・糖鎖」に設定し、有用物質の創出とその合成技術に関する先端的研究を展開している。

「俺の全財産はどのくらいあるか」1940年、野口氏がソウルで病に倒れたとき、側近をまくら元に呼んで調べさせた後、こう言ったという。「古い考えかもしれんが、報徳とか報恩ということが、俺の最終目標だよ。自分は結局、化学工業で今日を成したのだから、化学方面に財産を寄付したい。また朝鮮の奨学資金のようなものに役立てたい」。こうして現在の価値で私財300億円のうち、250億円を野口研究所に、50億円を朝鮮総督府に寄付して「朝鮮奨学会」の原資とした。

人びとのくらしや世の中を良くしたい、そのために化学工業を発展させたいという私欲のない意思は、80年の時を超えてなお人を惹きつけ続けている。

  • 野口研究所 正門(2006年)