100 Stories1952 旭味の宣伝番組「ピヨピヨ大学」

旭味の宣伝番組として昭和27年に始まったラジオ「ピヨピヨ大学」。チキン総長が問題を出すと、オンドリ博士とメンドリ博士、チャボ博士が三様の答えを出して、その中でどれが正解かを出場者が選び、チキン総長が正解を示すという番組だ。

昭和27年(1952)から昭和35年(1960)にかけて当時のラジオ東京(現 TBS)で放送された、旭化成提供のこの人気ラジオ番組は、旭化成社員のアイデアが元になっている。また、題名の「ピヨピヨ」と「大学」という二つのアンバランスな言葉の組み合わせが持つ響きが、この番組の味を適切に表現している。

馬鹿騒ぎでもない、無論ヘンテコな演出も見られない、誰もが知っているくせによく知らないことがサラリと頭に入ってくる。「普段接していて、しかも気付かない知識の曖昧さを決定づける」そんな絶妙さが題名の表すところだった。

そんなピヨピヨ大学について、学習院大学学長を務めた安倍能成氏はこのように語っている。

「単なる博識と機智と鋭利と洒落に止まったならば、結局“三十分の名君”のような浅薄に流れる恐れは十分にある。しかしこうした常識的な知識の曖昧さの決定を助けるということならば、それは害より益の方が多いだろう。ピヨピヨ大学が娯楽の中に一般的な常識を確実にすることができるならば、社会教育上の貢献は意外に大きいかもしれない」

ラジオという娯楽性の高く、大衆が気軽に聴いているツールの特性を活かした番組構成は、大学の学長からも注目されるほどであった。

ラジオ放送開始の翌年となる昭和28年(1953)からテレビ放送も開始。昭和35年(1960)に放送が終了するまでラジオとテレビの両方で放送された。テレビ放送3回目には、視聴者の意表を突くために、大きなガラス張りの水槽をスタジオに持ち込み、鵜飼いの実演を生放送した。これが視聴者の心を掴み大好評となったことを皮切りに、スタジオに虎やライオンを連れてきたほか、ロケット発射実験まで行われた。

このようなチャレンジングな姿勢も評価され、ピヨピヨ大学は広告電通賞を受賞。数多くの商業テレビ番組の中からピヨピヨ大学が選ばれたことに、当時旭化成の常務取締役であった宮崎輝も喜びを語っている。

「テレビという新しい広告媒体の誕生が社会にとって鮮烈で、またそれの持つ人間吸収度の度合いがあまりにも強烈であることを痛感している。ピヨピヨ大学に期待したものは、宣伝放送であるということは前提としても、小手先の技巧にとらわれずスポンサーの善意の発露を通じ、一般の善意の振幅と共鳴したいと願った。それが今回の受賞で認められたことに大きな喜びを禁じ得ない」

スポンサーという立場で、テレビを通じて一般の方々に良いものを提供したいという悲願が、賞受賞という形となって報われたことへ大きな喜びを表したのである。

ピヨピヨ大学は、テレビやラジオの創世期に旭化成の広告塔として大いに活躍した。元のアイデアは旭化成社員が出したもので、旭味を宣伝するために本当に番組まで作ってしまう突破力は、旭化成のバリューをほうふつとさせる。アイデアを元に未知の世界へ全力投球したであろうピヨピヨ大学は、一生懸命さなど忘れてはならない気持ちを思い起こさせてくれる。

  • 「ぴよぴよ大学」ラジオ公開録音放送(1952年頃)