100 Stories1985 エイ・ティーバッテリー

半導体、液晶と共に、マルチメディア社会を支える三種の神器と言われた小型二次電池。充電して繰り返し使える小型二次電池は、ニッケルカドミウム電池、ニッケル水素電池を経て、リチウムイオン電池の時代となっている。その開発者として2019年にノーベル化学賞にも輝いたのが、名誉フェローの吉野彰だ。

このリチウムイオン電池が、ここまで脚光を浴びている理由はいくつか挙げられる。エネルギー密度が高く電池容量が大きい、寿命が長い、自己放電性が低い、そして作動電圧が高いなどの長所を持っていることがその理由だ。このリチウムイオン電池を事業化するため、1992年に旭化成は東芝との合弁会社「エイ・ティーバッテリー」を設立した。

エイ・ティーバッテリーは、1993年にリチウムイオン電池セパレータ用に旭化成の「ハイボア」を販売開始。その1ヶ月後にはリチウムイオン電池の販売を開始した。旭化成と東芝の間で共同開発を進めてきたリチウムイオン電池の事業化の条件が整ったことで、共同開発の成果を踏まえて折半出資でできたエイ・ティーバッテリー。1994年には東芝電池も資本参加し、旭化成40%、東芝40%、東芝電池20%の3社による合弁会社となった。

それぞれ歴史のある親会社から参画しているメンバーの集まりであり、組織のあり方や業務の進め方、意思決定の仕方など、文化の差を挙げれば限りがない。それは研究者間でもあったようで、旭化成の「さん付け文化」に象徴される、上司にも意見や考えが言えるオープンで自由な雰囲気は、相手方の研究者たちに感心された。

1999年にはエイ・ティーバッテリーのメンバー4名と吉野彰を合わせた5名が、リチウムイオン電池開発に携わったことで「日本化学会化学技術賞」を受賞。受賞理由として、世の中の強いニーズにマッチした技術で、世界に誇れる純国産技術であること、販売以来、順調に推移して1998年度の売上が2,500億円ほどに達していることからも、化学工業の発展に貢献できるものであると認められたのだ。

受賞の喜びをエイ・ティーバッテリーの大塚健司(おおつか けんじ)は「旭化成が世界に先駆けて開発したこの製品が、栄えある科学技術大賞に選ばれ嬉しく思っています。特にエイ・ティーバッテリーに出向している私たちには、大きな励みになります」と受賞者を代表して喜びのコメントを残している。

しかし、その翌年となる2000年に旭化成は保有しているエイ・ティーバッテリーの株式を全て東芝に譲渡して合弁を解消すると発表。東芝は携帯電話やノートパソコン向けなどにさらに重要性が増すと見込まれる本事業を成長・拡大させることを戦略の一つの柱としており、エイ・ティーバッテリーの100%子会社化を決めた。

一方旭化成は、保有するユニークなリチウムイオン電池の基礎技術を事業化するために、エイ・ティーバッテリーの合弁パートナーとして電池事業経営そのものに関わってきた。しかし、今後は電池用素材メーカーとしてセパレータや燃料電池用膜などの取り組みに専念することを決定し、エイ・ティーバッテリーの株式譲渡に至った。

株式譲渡後も、旭化成が提供している本事業関係の特許やノウハウは新会社に使用許諾され、出向している社員のうち希望者は東芝に転籍した後、新会社へ出向する形態を取り、これまで通り本事業に従事することができるものとした。

エイ・ティーバッテリーの合弁が解消された時、電池の研究者たちは「川崎製造所で電池の素材の研究を続けた人」「新しい研究テーマに取り組んだ人」などそれぞれの道を進んだ。その中には、電子コンパスを開発することになる山下昌哉(やました まさや)もいた。