100 Stories2019 吉野彰の“働く人”へのメッセージ

日本人のノーベル賞受賞は歴代で25人。その中には、旭化成出身者も含まれている。2019年にリチウムイオン電池の研究開発の功績が認められ、ノーベル化学賞を受賞した名誉フェローの吉野彰がその人だ。

吉野が入社した当時は、産業界の変革期。多くの企業がビジネスの多角化や、新規事業への参入を行っていた。その中で旭化成は、繊維会社から企業体質を変えるべく新しい事業や分野を開拓することに積極的で、若き日の吉野はそういった部分に惹かれて入社をした。

大学で研究に携わるという選択肢もあったが、研究した成果をすぐに世の中に送り出せるメーカーの方がアクティブな生き方だと感じたのも志望理由のひとつだという。

入社してからすぐに配属されたのは、探索研究を行う部署だった。大きな枠組みはあったものの、当時の上長は吉野に「いくら失敗してもいいから、とにかく新しいものを生み出そう」と比較的自由に意思決定ができる環境を与えた。

しかし、当時の開発部長は製造出身で、研究は未経験だった。そのため研究のメカニズムや可能性を説明し、理解してもらうのに苦労した。その時に、自分自身が研究テーマについて深く理解していなければ、その意義を伝えることはできないと痛感した。

このときに身につけた「どんな人にも自分の研究の内容や意義を伝える力」が、リチウムイオン電池の開発でも活かされたという。

また、吉野の発言で興味深いのは、もし旭化成でなく電池メーカーに入社していたら、自分は恐らくリチウムイオン電池を開発することはできなかっただろう、というものだ。吉野はリチウムイオン電池が開発できた要因を次のように語った。

「化学における研究のきっかけは“材料”です。リチウムイオン電池の開発は、自社で開発していた特殊カーボンが開発の突破口となりました。旭化成は素材におけるフィールドが非常に広い。研究で最も重要になる素材が社内にあふれているということは、研究者にとって非常に魅力的な環境だと思います」

自分の分野外の未知なる領域に視野を広げることができる環境が、リチウムイオン電池開発において重要な要素だったのだ。そして、もうひとつ何より重要なのは、「問題意識を持ち続けること」だと吉野は語る。

「研究以外の仕事においても言えることですが、大切なのは問題意識を常に持ち続けることです。社内外に関わらず、仕事の課題を打破するためのヒントは必ずどこかにあります。しかし、“何とかして目の前の壁を乗り越えたい” “どこかに必ずヒントがあるはずだ”という意識がなければ、そのヒントに気づけません。リチウムイオン電池の研究でも、文献や素材、そして多くの人たちとの偶然ともいえる出会いがたくさんありました。未来の社会を見据えながら、目標を達成したいという強い想いと“問題意識”があったからこそ、その偶然の出会いを手繰りよせることができたのだと感じています」

この考えは旭化成の従業員だけでなく、日本で働くすべての人にとって示唆に富んだものだ。吉野は旭化成の従業員に向けて、“創造と挑戦”をテーマにメッセージをくれたが、これはすべての挑戦する人へのメッセージに思えてならない。最後はその吉野のメッセージで本稿を締めることにする。

「研究者の一番の醍醐味は自分の研究で世界を変えることです。私はそれが現実になったのですから幸せ者です。振り返ると私の仕事に対する情熱は、いつも“好奇心”から生まれていました。皆さんにも、常に粘り強く、挑戦する気持ちをもって、それぞれの分野で未来を創造していってほしいと思います。もっとどん欲に、自身の分野外の未知なる領域まで視野を広げて、自分の仕事に取り組んでくれることを期待しています」

  • ノーベル化学賞受賞の発表当日の記者会見には多くの従業員も集まった
    (2019年10月9日)
  • 翌日の従業員向けの会見(2019年10月10日)
  • 吉野研究室(2011年7月)