100 Stories1993 Jリーグ元年と旭化成テキスタイル

1993年、空前のサッカーブームを巻き起こしたJリーグが開幕した。サッカーの本場ブラジルでも活躍した三浦知良やブラジルからの帰化選手ラモス瑠偉などのスター選手が続出し、その人気は社会現象にもなった。そんなJリーグが開幕した時のユニフォームの素材は、旭化成テキスタイル(AT)の生地だった。

1976年に設立されたATは、当初から用途別の組織で編成された。「ベンベルグ」の裏地をベースに、ポリエステルの高次加工による付加価値の高い素材で、市場のニーズにあわせて商品開発を行った。スポーツ衣料に代表される高付加価値素材の開発は、旭化成とATの緊密な共同開発から誕生したものだ。

ATは、さまざまなポリエステル異形断面糸を活用し、吸水速乾・接触冷感などの機能を持たせたり、その他の特殊な加工を施すことで防臭・抗菌機能を持たせたりした生地を開発していた。Jリーグでの採用につながったのはATのポリエステルの発色性が良いことからだ。

鳴り物入りで始まったJリーグ元年に10チームのユニフォームで採用され、より存在感が増した。企画会社を通じて、ミズノと組んで10チームのチームカラー決定やユニフォームデザインまで取り組んだ。

採用が決まると、Jリーグ元年からさかのぼること2年前、スポーツ衣料担当とユニフォーム選定委員は、サッカーの本場である欧州に赴き、イギリスのプレミアリーグ、スペインのリーガエスパニョーラ、イタリアのセリエA、ドイツのブンデスリーガなどのユニフォームを買い漁った。

ユニフォーム製作は、カラーの選定だけでも難航した。ユニフォーム選定委員を務めた木之本興三(きのもと こうぞう)氏からは「一目で見てどのチームかわかるように、ユニフォームの色がかぶらないようにしてほしい」と言われていたが、10チーム中7チームがブルーを希望してしまう。各チームとの調整が続いた。

例えば、鹿島アントラーズには、地元茨城県の県花がローズであることからローズレッドを提案。担当者からは「もっと強そうな色が良い」と言われるものの「チームが強くなればその色が強く見える」と説得し、実際にアントラーズは常勝軍団となり期待に応えた。

幾度の難局を乗り越え、旭化成テキスタイルが提案したポリエステルの生地は、強度と光沢がありサッカー場のナイターのカクテル光線にとてもよく映えると好評を得た。

Jリーグでの採用が引き金となり、吸汗速乾「テクノファイン」という生地を開発し、1998年フランスワールドカップ日本代表のユニフォームに採用されることにも繋がった。テクノファインはその後さらに拡販し、旭化成せんいの第1回社長賞(マーケティング大賞)を受賞した。

ATは、繊維・テキスタイル事業の強化のため1994年に旭化成に吸収合併されている。現在テキスタイル事業については旭化成アドバンスに継承されている。

  • 1993年Jリーグ開幕当時のユニフォーム