100 Stories1972 グローバル化の道を開拓せよ「旭化成インターナショナル」

旭化成は創業以来、“いのち”と“くらし”に貢献してきた。世界の20カ国以上に生産・販売・研究開発の拠点を配置し、グローバル市場で幅広いニーズに対応する体制を整えている。

近年では、環境に優しく付加価値の高い素材や製品を開発しているマテリアル領域と、人びとのいのちを救うヘルスケア領域では、海外売り上げ比率が5割を超えた。住宅領域も豪州や北米における売上比率を伸ばしている。海外企業などとのM&A(企業の合併・買収)も積極的に進め、さらなるグローバル展開に取り組んでいる。

グローバル化のきっかけとなったのは1970年代。日本でも「国際化社会」という言葉が一般化し、大企業が海外事業に目を向け始めていた時期だった。旭化成でも各事業部で海外進出が検討されたが、各事業部とも国内対策に手一杯であった。また、事業部の枠で海外進出を狙うことにも限界があり、思うように計画は進まなかった。

そこで旭化成は、技術やプラントの輸出事業を行う会社を設立した。海外事業経験豊富なメンバーを集約した「旭化成インターナショナル」の誕生だ。

在籍者は英語をはじめ、ドイツ語やロシア語など、語学に堪能なメンバーが揃い、旭化成が進出を狙っている様々な国の言葉を操った。海外事業専門会社の設立は、他社に対して先駆けた動きでもあり、時代の先端をいくものとして業界内でも注目を集めた。

「旭化成は東レ、帝人に比べ海外資本投資が大きく遅れている。それをこれから一気に取り戻す」

旭化成インターナショナル社長に就任した倉勝利(くら まさとし)の強い言葉とともに、旭化成のグローバル化はスタートした。社内では「東レ、帝人に追いつけ」を合言葉に、抜群のリーダーシップを発揮する倉を中心に、社員同士が鼓舞しあうことで事業の成長を誓った。

本格的海外進出の第一弾は、インドネシアの現地法人「インドネシア・アサヒ・インダストリー」の設立だった。ナイロン糸国産12トン、カシミロン紡績20トンを目指し操業開始。倉の「インドネシアで海外事業の足固めをする」という言葉のとおり、旭化成のグローバル化に向けて重要な第一歩となった。

その後もブラジル、イラン、韓国など、続々と進出計画を進めていき、着実な成果を上げていく。数々の功績を遺した旭化成インターナショナルは、2000年にその役目を終えるまで、グローバル企業への躍進を支える大きな責務を果たしていった。

海外市場は未開拓だった時代に、高い志を持った精鋭が集い、広い海外に対して道を作った旭化成インターナショナルの功績は大きい。その熱い想いは、今も世界中で働く旭化成の従業員たちによって、しっかりと受け継がれている。

  • 社報あさひ1974年1月1日号