100 Stories1970 大阪万博と旭化成

三波春夫の「こんにちは〜こんにちは~世界の~国から~♪」のフレーズが印象深いテーマソングでも有名な大阪万博。1970年に日本で初めて開催され、入場者数は6400万人、経済効果は4兆円を超えた国家的プロジェクトだ。

今では当たり前となった缶コーヒーやケンタッキーフライドチキンが日本に上陸するきっかけをつくるなど、大阪万博の当時の影響力は凄まじいものだった。

万博の話が持ち上がった頃、繊維産業の中心は、紡績ではなく製糸へと移っていた。繊維産業としてもパビリオンを出すべきだという声も出ていたが、東レ、帝人、三菱レーヨンなどの化学繊維の製糸メーカーは自身の財閥系パビリオンに力を注いでいた。

しかし当時、日本化学繊維協会の会長を務めていた宮崎輝は、繊維産業のパビリオン「せんい館」を出展することを決める。どの財閥にも属さない旭化成と東洋紡績の2社が中心となり、「繊維は人間生活を豊かにする」というテーマのもと計画が進められた。

建物の外観はスキーのジャンプ台のようなスロープによって構成され、その中央部に赤いドームが飛び出しているという非常に印象的な造りだ。このスロープは繊維が持つ特徴的な線であるなだらかな懸垂曲線を表していた。その先進的なデザインは今でも一見の価値ありだ。

展示では最大の見せ場として、映像ドームがあり「アコ」という新しい映像方式が紹介された。それは4面の大スクリーンと巨大な女性像を中心とした音や光の新感覚ショーとなっており、特に若者から支持を受けた。

さらに内蔵されたスピーカーによって語りかけてくるロビー人形など、あらゆる展示品が年代を問わず高評価を得ることに成功する。各界の著名人も数多く来場するなど、「せんい館」は大成功のうちに幕を閉じた。

大阪万博全体に目を向けると、合成ゴム、ヘーベル、スタイロフォームなど、旭化成製品が様々なパビリオンで使われていたが、中でもヘーベルは注目を集めていた。「工期短縮」「不燃で軽量」「解体の容易さ」など、万博が終われば大半が撤去されるパビリオン建設に適していることがその理由であった。

また広告の分野でも、旭化成は大阪万博の成功に一役買っていた。旭化成が一社提供で放映していた「スター千一夜」では、万博キャンペーンのCM制作をした。CMはまだ更地の万博会場で子どもが遊んでいるシーンから始まる。それから2年半に渡って、番組終わりに子どもの成長と工事の様子を伝え続けた。

製品と広告、そして繊維産業のパビリオンと、旭化成は大阪万博で大きな存在感を見せていた。そして、その後も繊維産業を牽引していく存在として成長を続け、日本だけでなく、世界でも活躍をする企業となっていった。

  • アコ
  • ロビー人形