100 Stories2008 18年の努力とリコモジュリンの新薬承認

現在、旭化成ファーマの社長を務める青木喜和は、入社以来、新薬の研究開発に関わり続けた。青木は、大学院では農学研究科でバイオ領域を研究。当時、石油化学を主力としていた旭化成は、製薬事業では後発だったため、新しい分野であるバイオ創薬に力を入れていた。

研究者として採用された青木は、1990年から血液凝固阻止剤「リコモジュリン」の動物を使った薬理試験をする担当となる。この動物実験で成果が出ると、次は人への臨床実験となるがこれが中々前に進まなかった。この状況に青木は「遅すぎる」と当時の課長に詰め寄った。その口出しの影響もあったのか、青木は間もなくして医薬臨床開発センターへの異動を言い渡された。

異動先の最初の仕事は、治験に参加してくれる病院探し。さらに青木は自ら被験者集めに奔走し、「被験者集めでは、自分1人で全体の3分の1を集めました。しかしリコモジュリンの第3相治験は当初想定の約2倍となる5年超の歳月がかかってしまいました」と当時を振り返っている。

2003年、青木がリコモジュリンの研究に携わってから10年以上が経っており、焦りを強く感じていた。

「開発が遅れていたこともあり、社内でのリコモジュリンの優先順位がどんどんと下がり、人員も減らされてしまうこともありました」

青木がそう語るように、苦難の日々が続いた。しかし、ついに臨床試験を終え、新薬申請の書類作りに移る段階まで漕ぎつける。申請予定日が決まると、販売に向けて全社が一斉に動き出すなど、リコモジュリンの研究が日の目を見る時が近づいてきた。

会社から与えられた申請日までの期間は非常に短く、厳しい日程だったため、他部門の業務にも影響するが、1ヶ月延期を直談判しての申請となった。

申請の審査書類の最後のページに「この薬を承認することに差し支えない」という言葉があれば、承認されたことを意味する。青木は当時のことを、「書類を受け取った時、真っ先に最後のページを確認しました。承認を意味する一文を見つけた時、文字がネオンのように輝いて見えたのを覚えています」と、18年にわたる努力が実った瞬間の喜びを語っている。

リコモジュリンは海外で実績がなかったため、販売後も安全に使うためのデータを集めることが必要だった。血液凝固阻止剤を使うような疫病は症例が少ないことから、必要なデータ量を集めるには10年かかると言われたところを、全国の病院を巡って2年で集めることに成功。ここでの頑張りが、販売を続けられる要因となった。

新薬承認まで18年という年月をかけ、その道のりも決して楽なものではなかったリコモジュリン。その長い期間を通して、諦めることなく開発に情熱を捧げた結果が、多くの人々を救う新薬開発へと繋がっている。

  • 血液凝固阻止剤「リコモジュリン」