100 Stories1970 FITセミナー 日本にもファッションビジネスを

1970年から28年間続き、日本にファッションビジネスという概念を紹介した草分け的存在と言われたセミナーがあった。「旭化成FITセミナー」だ。

近年の日本では様々なアパレルブランドが人気を博すなど、ファッションがビジネスとして当たり前のように成立しているが、1970年当時は今とは全く状況が異なっていた。セミナーの発起人である尾原蓉子(元FB人材開発部長・旭化成テキスタイル取締役)は当時をこんな風に回想している。

「既製服も浸透していなかった当時の日本では、ファッションとビジネスが結びつくなんて想像もしていませんでした」

当時、尾原は旭化成に籍を置きながら、1966年フルブライト奨学生としてFIT(ニューヨーク州立ファッション工科大学)に留学していた。

アメリカで培った考え方と仕組み、さらには人材育成についての情報を日本のファッション業界に伝えていきたい。そんな想いから、社内だけでなく業界全体へとオープンに伝える「FITセミナー」の開催に至った。

受講者は開始当初はパターンメイキングなどアパレル企業の技術者が対象であった。しかし、業界内で大きな評判となった「FITセミナー」は、徐々に規模が拡大。いつしか中堅管理者層や企業のトップを含む経営層までが参加するようになった。その中にはユニクロが世に出る前のファーストリテイリングの柳井正氏も毎年参加しており、その後のファッションビジネスを牽引していくことになるメンバーが集い、情報交換をする場でもあった。

受講者も豪華なら、セミナー講師も豪華だった。GAP、ラルフローレン、ベネトンなどの当時の先端ブランドや、ニーマンマーカスなどの流通業の経営層にスピーカーを依頼した。世界の第一線で活躍する一流の経営者を招き、最先端をいくファッションビジネス理論やノウハウを、日本で学ぶことを可能にしていた。

関係者が尾原の人柄についてこう振り返ってくれた。
「尾原さんはとにかく前向きな人でした。御殿場の経団連のセミナーハウスで経営者セミナーも行っていましたが、自らの勉強と人脈作りのためにハーバードのエグゼクティブMBAに夏休みを利用して自費で渡航していました。私も当時の尾原さんくらいの年齢になったのですが、改めてバイタリティの凄さを感じています」

その人並み外れた行動力は、ユニクロの柳井氏をして「最も尊敬する女性」と言わしめた。
その行動力の源はどこにあるのだろうか。当の尾原にそのことを聞くと、当時のことを懐かしそうに語ってくれた。

「待っているのではなく、女性ならではの視点を持って、自ら仕事を見つけることが、女性の活躍につながると思っていました」

その強い想いがアメリカ留学へとつながり、28年間も続くことになる「FITセミナー」誕生のきっかけとなったのだ。

ファッションビジネスの後進国であった日本に大きな道標を与えてくれた「FITセミナー」。その誕生の裏には、まだ女性が活躍する仕組みが希薄だった時代に、バイタリティ溢れる行動力で道を切り開いていった強い信念を持った女性の姿があった。

  • 第1回FITセミナー(1970年)