100 Stories1960 「三種の新規」誕生の地“旭化成芝寮”

旭化成を支えた三つの事業“三種の新規”誕生の地と言われている芝寮。それは東京・赤坂葵町のホテル・オークラ裏手にあった寮である。

芝寮は昭和初期にNHK初代会長を務めた岩原謙三氏の自宅として、建築家の仰木魯堂氏に設計・建築を依頼して建てられた。旭化成がこの岩原邸を譲り受けたのは1950(昭和25)年のことだった。

敷地面積694坪、部屋数17室を抱えた岩原邸は、旭化成の寮として生まれ変わった。この時から半世紀余りにわたって旭化成を見守り続けることとなる芝寮は、震災や戦災等で多くが失われた仰木魯堂の数少ない作品としても価値の高いものであった。

そんな芝寮では、旭化成の戦士たちが毎夜語らい、イノベーションを生み出す源にもなっていた。

雨の日も風の日も毎夜8時過ぎ、芝寮では1人の浴衣がけの男を中心に深夜まで白熱した議論が展開された。集まるのは、若い人たちばかり。彼らのひたむきな議論を見つめながら浴衣がけの男は“何か見つかるだろう”と思うことがあった。

当時の様子が伝わる逸話であるが、この浴衣がけの男とは、旭化成中興の祖とも言われる宮崎輝である。これは1959年から宮崎が末席専務から7人抜きで社長に選任される直前の1961年春頃までの出来事であった。

宮崎が専務に就任したのは1958年。操短率50%というレーヨン不況の直後であり、レーヨンやベンベルグという再生繊維は、ナイロンのような飛躍的な発展は到底期待できなかった。

“何か新しい芽はないか”それを求めて、宮崎は若い人たちを集めて毎夜議論するようになったのだ。そして最終的に狙いを定めたのが、合繊から「ナイロン」、化学工業から「合成ゴム」、建材から「シリカリチート」であった。

この三つの事業は「三種の神器」をもじって「三種の新規」と呼ばれるようになり、旭化成を支えていく事業の一つとしてそれぞれ活躍することとなる。

旭化成の迎賓館としても生きた芝寮は、半世紀余りがすぎた2003年6月に、再開発により、虎ノ門タワーズ建設に伴い解体されることとなり、その役目を終えた。そこは立場に関係なく、本音で議論ができる旭化成の強みを体現する場所でもあった。

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