100 Stories1999 徹底したリスク管理で対応した2000年問題

ノストラダムスの大予言で人類が滅亡すると噂されていた1999年、旭化成はコンピュータ2000年問題に対応していた。これは西暦2000年になると多数のコンピュータシステム内部で、日付を扱う際に西暦の下2桁だけを表示して上位2桁を省略していることが原因となりコンピュータが誤作動する可能性があるとされた問題だ。

旭化成は1996年12月に「コンピュータ2000年問題対応プロジェクト」を立ち上げ、日付処理を行うシステム・機器について、システム不良が発生しないように対応を進めてきた。1997年1月には総務部リスク対策室を設置し、グループ全体での対外的な危機管理の窓口としての組織を立ち上げた。埋め込みチップを組み込んだ計器・機器については、同プロジェクトで1998年より調査を開始。メーカーへのアンケート送付、アンケート回答に基づくヒアリングの実施、結果の評価の三つのステップを踏み、計器・機器の2000年問題の有無を判定し、各工場へ連絡した。

各事業部門では、危機管理計画を策定し、各部門とも全社方針を受けて「環境安全の確保」「製品の安定供給」を重要項目として選定。コンピュータ組み込みの外販製品を持つ部門では「外販製品の安全」も重要項目に加えている。

これら重要管理項目に関わる情報システム、生産設備、建物設備、関係先や取引先など全てを洗い出し、点検を行なって2000年問題の対応状況を把握。その上で、万一の事態を想定した偶発計画を策定した。特に重要管理項目の「環境安全の確保」に関しては、年末年始に連続運転する工場は全て安全に緊急停止できることを再確認している。

1999年2月には「2000年問題危機管理委員会」も立ち上げ、不測の事態に備えて万全の危機管理計画が作られていくが、西暦が2000年に変わる年末年始の体制はより厳重なものとなった。1999年12月1日から2000年4月16日まで厳戒態勢を敷き、特に12月31日から1月1日までは緊急対応体制を事前に設置して万が一の事態に備えている。

その対策は細部にまでも及んだ。例えば、海外に赴任している従業員に、日本から非常用持ち出し袋を家族人数分手配するなど、きめ細かいものであった。

全社の体制としては、緊急対応本部は「2000年委員会」と総務部が主管する「リスク対策本部」、環境安全・生産技術本部が主管する「安全対策本部」を統合した体制とし、副社長の徳永哲男(とくなが てつお)が本部長を務めた。

これまでも地区や事業ごとにリスク対策を行うことはあった。今となっては信じられない話だが、全社を通してのリスク対策はこれが初めてだった。万全の準備をして臨んだ2000年問題だったが、世間で騒がれていたような人々の生活に直結するほどの大きな混乱は起きずに終わった。そしてこの時に培ったリスク対策への意識やノウハウが、その後の旭化成グループの危機管理やリスク管理対応の基本となり、今日まで引き継がれている。

  • 社内報A-Spirit 1999年9月号