100 Stories1998 応募総数4400件!ヒラメキ・コンクール

「すべてのヒラメキはイヒ!へと繋がっている。見えざる資源をカタチにしよう」
1998年の社内報告知で始まった「ヒラメキ・コンクール」は、新規事業、新製品、新技術などのアイデアを社内から募集し、多くの「イヒ!」が寄せられた。

1996年の中長期経営計画「WIN”G”21」の中で、新しいコーポレートアイデンティティとして「人と社会の幸せのために、ものをつくり続ける」が打ち出されたことを受けて、広告用のコミュニケーション・ロゴとして策定されたのが「イヒ!」である。

「イヒ!」は現状を打破する力、ヒラメキの音をイメージしたもので、変化していく会社「イノベーション・カンパニー」という旭化成の企業イメージの定着を狙ったものだった。

業種などジャンルに囚われることなく、多様な人材の想像力=ヒラメキを大切にすることで、旭化成は大きく成長してきた一面もある。

そんな“見えざる資産”とも言うべきイノベーションの歴史をカタチにしようと行われたのが「ヒラメキ・コンクール」だ。

参加資格は旭化成グループで働くすべての人。応募作品の条件は、「イヒ!があること」「具体的であること」「実現性があること」「仕事に関すること」「すでに実行が計画されているプランではないこと」の5つだった。

まずはこの「ヒラメキ・コンクール」のサポーターを大募集。サポーターは、応募のPRはもちろん、毎週発行した「かわら版」の配布や応募の整理などを行った。

当初の応募目標は1,000件であったが、サポーターのPR活動や、締め切りの延長などの効果もあってか、それをはるかに超える4,400件もの応募が4ヶ月の間に集まった。

数ある応募の中で最も多かったのが、「新製品/新商品系」だ。全応募の約40%を占めるほどの量で、日々のくらしの中で「こんなものがあったら」というアイデアを社員たちが数多くヒラメいていることがわかった。

多くの素晴らしいアイデアが寄せられたヒラメキ・コンクールは、1998年12月に表彰式が、受賞者全てを東京本社に招待して行われた。初めて出張をする人、本社を初めて訪問する人…、表彰式は、社長の山本一元の発案で、受章者が壇上に並び、山本が表彰台の下から授与するという、オリンピック形式で行われた。

ヒラメキ・コンクールは、受賞者の喜びとともに幕を閉じた。その後、応募されたアイデアは整理され、各事業に共有された。最終製品となって市場に出たものはなかったが、お客様への提案や開発の現場で、多くの「イヒ!」につながったに違いない。

  • 「イヒ!」ロゴ