100 Stories1974 パリ事務所

日本でファッションやトレンドが注目され始めた1970年代、旭化成はファッションの本場ともいえるパリに事務所を構えていた。衣服の素材である繊維を製造する企業として、ファッションの発信地であるパリに拠点を持つために行動していたのだ。

旭化成では1970年代初頭から、関係業界に対して海外の最新のファッショントレンド情報や素材情報の発信を開始。アパレル、百貨店などとの提携によるキャンペーンなどのルートセールスを展開するとともに、従来の素材展と並行して1970年のインナーウェア展、翌年に開催したラウンジウェア展など、素材横断の用途別展示会を開催した。

次いで1972年に、ファッション情報の的確な分析のもとに、1、2年先のファッション動向を予見してカラーやデザイン、パターンの企画を発表するフランスのプロモスティル社と提携し、情報を生地問屋やアパレル業界に広く提供。

さらにマーケティング機能の拡充のため、1973年に繊維マーケティング部の機能の一部を分離・独立させ、ファッション素材、加工技術、ファッション商品の生産システムの開発及び販売を行うファッション開発部と、ファッション情報の収集・提供や商品企画を行う商品企画室を新設。1974年にはこれらを強化するためにパリ事務所を設けた。ファッション情報収集のためにパリに駐在員を派遣したのは、日本の石化・合繊大手メーカーでは初めてのことである。

1974年の三宅一生のパリコレクションでは、アクリル長繊維「ピューロン」を使用したコレクションが発表され、アイルランドで生産されたアクリル繊維の販売拠点としても活躍した。この頃、ファッション情報の一つとして、プルミエール・ビジョンなどの情報も収集。これはパリで年2回開かれる世界最大の国際的なテキスタイルの見本市だ。プルミエール・ビジョンで提案されるカラーや素材といったトレンドがファッション業界の動向に大きな影響を与えるほどの重要なイベントと位置付けられている。

一方で商品企画室は、ファッション・ディレクションと称して、パリで入手した色や素材、またライフスタイルなどの傾向の情報をまとめ、繊維マスコミにリリース、繊維業界だけでなく、自動車や塗料関係などのお客様に対してもレクを行っていた。

日本の化学メーカーとして初のパリ駐在員派遣を決断した旭化成。現地の駐在員から最先端の情報を発信することは、川上である旭化成の繊維事業の発展だけでなく、川下企業への啓発の役割も担っていた。