100 Stories1980 「安定赤字」だった過去も。立派に成長した人工皮革「ラムース」

オイルショックの影響を受けて、戦後初のマイナス成長となった1974年。前年の秋頃からインフレが急速に進行し、物価の高騰は国民に大きなダメージを与えていた。

そんな時代に繊維業界では、東レから「エクセーヌ」、クラレから「クラリーノ」などの人工皮革が発売されて大きな話題となっていた。人工皮革とは、生地の構造から天然皮革を人工的に再現したいわゆる「フェイクレザー」だ。特にエクセーヌは、当時の最先端技術を駆使して耐久性・耐光性・難燃性に優れる上に、本革と比較しても手入れに手がかからない優れものだった。

一方、旭化成では、延岡の繊維開発研究所で人工皮革の開発提案が行われ、自社製品を使用した独自路線で進められた。

1980年に販売を開始したラムースは、婦人・紳士コートの市場に参入したほか、服飾雑貨や非衣料用市場の開発も視野に入れていた。1982年には、衣料用テープやスポーツシューズ用途も開発して市場の拡大を図る。

しかし、他社との競争は予想以上に厳しく、「安定赤字」と揶揄されてしまう。ラムースの船出は困難を極めたのだった。

そんな状況の中でも構造改善を推し進め、高級素材市場の開拓など差別化を図ることで事業の拡大を行い、バブル期には順調に販売量を伸ばしつつあった。

ラムースが本格的に成長し始めて黒字事業となったのは、1990年代半ばに積極的な市場開拓が成功を収めるようになった時期だ。カーシートと欧米家具用途にターゲットを絞ったことが転機となった。

カーシートは、本田技研に採用されたことを皮切りに、日本エアシステム、トヨタ自動車、日産自動車へも参入。採用車種を拡大してカーシート用途の売上は急伸した。

家具用途では、欧州家具への適性があると睨み、欧州家具メーカーに乗り込み商談を成立させる。ドイツ・イタリア・デンマークにコンバーターを起用してヨーロッパ市場で積極的な販売を展開。アメリカ市場でもシェアを拡大した。

天然皮革の供給が限定されているため、人工皮革の市場は世界的規模で順調に拡大していくが、その中でも旭化成は目覚ましい成長を遂げ世界市場で12%を占めるまでになった。

一時は「安定赤字」と揶揄されながらも、新たな道を切り開いた人工皮革事業。現在では着実な利益事業として貢献している。困難な状況の中でも、打開するために前進を続けた従業員たちの働きが、シェア拡大に繋がった。

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