100 Stories1951 「春秋あさひ」株主と会社をつないだ株主情報誌

旭化成が株主向けに発刊した非売品の情報誌があった。戦後、株式が広く一般大衆に分散し、個人株主が増えたことをうけて1951年から年2回の頻度で発行された「春秋あさひ」だ。

その内容は役員の対談や随想、また有識者の寄稿などもあり、読み物としても十分楽しめるものだった。表紙のデザインも毎号だんだんと凝ったものとなっていき、雑誌のそれを思い起こさせる。役員が何を考えているのか、会社をどうしたいのかなどの考えも書かれていて、経営者たちの顔が見えるようなところもこの雑誌の魅力だった。

創刊号は社長の片岡武修の「私はこれまで絶えず株主各位と会社との連帯は現在のままで良いかどうか、もし不十分であるとすればいかにすれば良いのかということにつき、その行き方をいろいろと反省してみました」という書き出しの創刊のことばから始まる。

片岡はこれまで年2回の株主総会を開いてきたが、遠方に住まれている人や、時間的に出席が難しい人もおり、形式的なものになっていると感じていた。会社の営業成績やどんな事業に重きを置くのか、経営者の信念はどうだろうかといったことを株主の方々に届ける第一歩として創刊したことが書かれている。

この創刊号で興味深いのが、当時常務取締役であった宮崎輝を中心とした、会社経営陣の対談だ。春秋あさひ創刊の狙いとも言える経営陣のパーソナルな部分が見える企画だ。「米独工業の現状と旭化成の将来」というテーマのもと、7ページにわたって大いに語るなど、それぞれの個性が垣間見えるものだった。

春秋あさひが創刊した1951年の11月時点で56,000千株であった発行株式は、会社の成長とともに15年後には1,200,000千株まで総数を伸ばした。この間も年2回の発行を続けた春秋あさひは、多くの株主たちと会社をつなぐ役割を果たしていた。

1951年の創刊号から24年間、合計45号にわたって発行を続けた春秋あさひ。1975年4月号をもって廃刊となったが、最終号まで充実した内容は変わらなかった。中でも「旭化成のうごき」と題して、各事業の状況や海外事業について、地域活動についてなど、旭化成の「今」を確実に株主へ届けている。

惜しまれながらも24年の歴史に幕を閉じた春秋あさひだが、社内でも“その時”の様子が事細かに残っている資料として長く重宝されている。そして、現在では旭化成の発行株式総数は1,400,000千株に迫ろうとしている。戦後のまだ発行総数が少なかった時代から株主と会社をつなげてくれていた春秋あさひが、旭化成の歴史の証人となってくれている。

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