100 Stories2002 レオナ火災

2002年3月12日17時15分頃、延岡市旭化成レオナ工場で火災が発生した。建物面積43,000平米、従業員約600名を抱える工場からの火災は、ニュースとしてテレビでも取り上げられる事態となった。

火を確認してから30分足らずで消防車が現場に到着。それとほぼ同じタイミングで多くのマスコミも集結し、18時にはニュースで全国放映された。クライシスが発生した時の会社の対応は、地域住民、マスコミなど、すべてのステークホルダーとコミュニケーションをとりながら進めていく必要がある。

火災発生から約2時間後の19時11分には緊急避難勧告が出され、3,700世帯9,400人が対象となった。中には避難をしない住民もおり、当時NHKで放映された住民のインタビューでも「旭化成だから大丈夫だろう」と答えているあたり、地域住民からの信頼の厚さが窺えた。20時には、第1回記者会見がレオナ工場にて行われ、翌13日午前1時に行われた第2回記者会見では社長を務める山本一元(やまもと かずもと)のお詫び文書が配布されるなど、迅速に対応が進められた。

そして火災発生から約9時間後となる13日2時20分過ぎには、ついに鎮圧状態となり、2時40分に避難勧告を解除。7時に行われた第3回記者会見では、火災・避難状況及び工場図面が配布されたことにより、被害状況が明らかになった。焼失面積は実に15,000平米におよび、繊維製造設備の大半を焼失したが、不幸中の幸いで人的被害は確認されなかった。

同日11時には朝一番の飛行機に乗り込んで延岡入りした山本が記者会見を行い、自ら緊急対策本部長として作業着で記者会見に臨んだ。異例のスピードで行われた社長会見から3時間後に鎮火宣言が行われ、復旧への道がスタートした。

火災から3ヶ月後の5月に山本が延岡支社で会見し、レオナ工場のナイロン繊維設備を2003年10月までに復旧すると発表。120億円を投資して火災前とほぼ同規模の年産32,000トンの設備を建設する。ただ販売量の少ない衣料向けの設備は建設せず、他社からOEMの形で供給を受け販売することとなった。

繊維カンパニー社長の佐々木征(ささき ただし)は、火災当時の心境を「発生翌日に現場近くまで行ったが、その様子を見て直感的に復旧は無理だと内心思った。100億円以上はかかりそうな状況で、これはダメだな、というのが客観的感想だった」と語っている。

このような状況でも旭化成は復旧を決めた。会見で山本が「復旧のための投資は大きいが、ユーザーへの供給責任、従業員の雇用などを考えて決断した」と述べている。

素早い対応で翌日の鎮火宣言までに4度の記者会見で謝罪と説明を行なったレオナ火災。この初動を支えたのは、社内はもちろんステークホルダーとのコミュニケーションであった。ユーザーや従業員など、地域経済に与える影響の大きさを考慮して復旧を決断し、事業の絞り込みと思い切ったコスト削減の実施により回収可能の目処を立てた事故対応事例であった。