100 Stories1959 「スター千一夜」一社提供の伝説的テレビ番組

1959年3月1日のフジテレビ開局当日から放送が開始された「スター千一夜」、通称スタ千。昭和を代表するトーク番組として語り継がれるフジテレビの看板番組だ。この番組は旭化成による一社提供の番組であり、業界的にもメディア広告のはしりとも言える存在であった。

初のスポンサー番組として始まった第一回ゲストは、名俳優として知られた長門裕之(ながと ひろゆき)さんと津川雅彦(つがわ まさひこ)さん兄弟だ。旬の芸能人が出演することを売りとしたこの番組は、当時五社協定でテレビ出演ができなかった映画スターの出演でも話題を呼んだ。

五社協定とは松竹・大映・東宝・新東宝・東映の大手映画会社が、スターの引き抜き対策として取り決めたものである。「スターを貸さない・借りない・引き抜かない」の三原則に従い、テレビ番組への貸し出しをしていなかったのだ。

この番組は芸能ニュースを取り上げるだけでなく、時事を絡めた社会の話題も取り上げるワイドショー番組として認知され、5社協定の対象外となった。昭和の名俳優の高倉健(たかくら けん)さんや勝新太郎(かつ しんたろう)さんも出演するなど、お茶の間の人気を不動のものとしている。

開始当初は週5回の15分間放送であったが、放送開始から1年を間近にした1959年12月には週6回となるなど、その勢いはテレビ草創期の時代を牽引した。

1960年代に入ると、石坂浩二や関口宏など俳優である芸能人を司会に抜擢したことでも話題になる。1963年6月に全米レコードヒットチャート1位を獲得した「スキヤキソング」の歌手である坂本九(さかもと きゅう)さんや、ヨーロッパ取材ではジャン・ギャバン(俳優)やブリジット・バルドー(俳優)、アメリカではボブ・ホープ(ゴルファー)や、ジェーン・マンスフィールド(俳優)など、日本国内だけでなく世界のスターが出演した。

1960年代後半には、フジテレビで最も早くカラー化されるなど、時代の最先端を走る。

その人気は国民的なものとなり、最高視聴率は元プロ野球読売巨人軍の王貞治さんが出演した回で45.4%を記録。国民の半数近くが視聴しているモンスター番組となった。

1972年には「リビング千一夜」という新しい形のCMが登場した。現在の企業広告である。このCMの狙いは総合化学メーカーとしての真の姿を理解してもらおうというものであった。番組のCM時間を全部まとめて2分15秒という、画期的な長いCMが制作された。

好評だったこのCMは2週に1本の割合で、新しいテーマの情報を放映し、番組が終了するまで、124本も制作された。

こうした数々の栄光とともに旭化成の認知拡大に貢献してきた番組にも、時代の流れとともに終了の時がやってくる。平日15分の帯番組枠が時代に沿わなくなったことが大きな要因となり、惜しまれながらも終了が決定。旭化成としては、後継番組として1時間番組枠の「なるほどザ・ワールド」を一社提供で行うこととなった。

終了にあたり、「60年代」「70年代」「80年代」「スポンサー」とテーマを決めてハイライトが放送され、スポンサー特集では「愛を育てる旭化成」という特別なCMも紹介された。

そして1959年3月の放送開始から22年半後の1981年9月に最終回が拡大版で放送される。放送回数は6417回を数え、2005年に「笑っていいとも」に抜かれるまでフジテレビの長寿記録であった。

  • 1981年9月25日『スター千—夜』6417回で終了 さよならバーティー

「リビング千一夜」作品リスト 1972年抜粋

イオン交換膜 「海水が真水に」水槽とハマチ
旭ダウ創立20周年 大磯ロケ
APR 亜鉛版から「APR」へ(関口宏さんの足型)
ダイナマイト 火事と建設、延岡ロケ
「ヌーヌー」 ホームソーイング
パリファッション情報 パリ・サンジェルマンロケ
高槻繊維研究所 各種繊維テスト、高槻(大阪府)ロケ
延岡火薬工場とお花見 桜満開を期に住民に工場開放
水着ファッション 明治時代からの水着の歴史
ペルー・タクナ工場 技術の海外輸出と現地産業への貢献、ケミカ・ソル現地取材