100 Stories1980 技術が詰まった魚のすみか「人工魚礁」

360度を海に囲まれた島国である日本に、古くから根付いてきた魚食文化。近年では子どもを中心に魚離れの深刻化も叫ばれているが、鮨や煮つけ、焼き魚など、魚は和食を語るうえでは欠かすことができない存在だ。

食文化が栄えるためには、その素材の安定供給が必要だが、日本の水産業は、幾度か漁獲量が落ち、危機を迎えたことがある。そんなときに、日本の水産業、そして日本の魚食文化を支えた旭化成の事業が存在した。

1970年代まで漁獲量を伸ばすために年々水域を拡大してきた日本の水産業だが、200海里(およそ370キロ)漁業水域が定着してきたことにより、徐々に漁獲水域を広げることが難しくなってきていた。

水域が広げられない中で、漁獲量を上げる方法を迫られていた当時の政府は、新たな方向へ舵を切る。「獲る漁業から造る漁業へ」。新たなテーマを掲げ、養殖漁業を中心とする計画がスタートした。この大きな方針転換により養殖漁業は一気に注目され、旭化成は魚の住処となる「人工魚礁」の開発に乗り出すこととなる。

旭化成では、方針が交付された直後からガラス繊維強化プラスチック(GFRP)を使用した人工魚礁の研究を開始し、1975年にはフィラメントワインディング法による人工魚礁の製造方法を開発。他社でも人工魚礁の開発が盛んに行われ、1976年に第1次沿岸漁業整備開発計画が実施されて以降は続々と競合が現れた。

しかし、その中でもGFRPを素材とした旭化成の人工魚礁は、当時主流を占めていたコンクリート製やプラスチック製のものと比較し、非常に高い品質と耐久性を有しており、その上コスト面でも優位に立つものだった。「良いものを低価格で提供する」という旭化成の理念が詰まった製品となり、開発した研究員たちの努力と執念が、他社の製品を上回る結果となった。

高評価を得たGFRP製人工魚礁は、1978年水産庁から「沿岸漁業整備開発法」の対象魚礁として認可を受け、社内では開発部を新設して生産体制を整えるなど、万全の準備が整っていく。

さらに1981年にはアメリカの漁業開発への協力依頼を受け、現地での実用化テストが行われた。その結果フロリダ州の大西洋ジャクソン沖とメキシコ湾パナマシティ沖などに沈設されることとなり、日本だけでなく海外へも進出した。

1982年には、兵庫県尼崎市の「尼崎市立海釣公園」へ納入。レジャー施設では国内初の人工魚礁納入となり、世間的にも大きなトピックとなった。評価されたのは、半永久的に使えるなどの性能の高さと全国32都道府県への納入実績。鋼製人口魚礁と最後まで競り合った末の納入だった。

数々の実績を残し、日本の魚食文化を支えたGFRP人工魚礁だが、生産開始から30年ほど経った2008年に岡部株式会社へと事業譲渡した。海藻の養殖や藻場を造成する技術を持つ、岡部の海洋事業部では現在も沿岸域を対象とした水域緑化の研究を進めている。

  • GFRP製の人工漁礁

※参考 FRP 沈船魚礁化ガイドライン 水産庁
循環型社会の形成や魚礁資材の多様化が求められている中、離島等の漁業地域において廃船となったFRP 漁船のより一層効率的な処理体制の構築とともに、その魚礁等への適切な有効活用が注目を浴びている。しかしながら、FRP 漁船の魚礁への有効活用については、その有効性、経済性、耐久性、環境への影響等が確認されておらず、それらを明らかにし、適切な手法を確立することが、特に離島等の漁業地域において必要となっている。

https://www.jfa.maff.go.jp/j/keikaku/pdf/frptinsengaidorain21.pdf