100 Stories1984 MR-CTへの挑戦

旭化成は時代の最先端技術を使った、命に関わる事業も行ってきた。旭メディカルの旭Mark-Jに代表される診断用機器もその一つだ。診断用機器分野では、1970年代から開発を進め、肺機能検査装置を発売するとともに、超音波診断装置やX線CTスキャンなどの輸入販売にも着手したが、いずれも成功していなかった。

しかしその間の1984年に旭Mark-Jの開発に成功。これは旭化成とイギリスのアバディーン大学が技術提携して進めてきたMR-CT(核磁気共鳴断層撮影装置)だ。厚生省の製造承認を取得して1号機を宮崎県都城市の藤元病院に納入し、85年5月から厚木で本格生産を開始した。

この頃診断用機器の分野は、急速にマーケットが拡大。GEや東芝など大手電機メーカーが次々に参入し、旭化成が市場に参入した頃には既に競争が激化しており、新装置の市場開拓に努めたが、国内・海外の大手メーカーに対抗してコスト競争力を持つことができなかった。

1988年には、世界屈指の企業であるドイツのシーメンス社の日本子会社とMR-CT事業を統合し、「シーメンス旭メディテック」を発足させた。シーメンス旭メディテックは順調に事業を拡大し、1997年には300億円を超える売上高をあげている。シーメンス旭のMR-CTは、開口径が他社製より大きく、圧迫感が少ないという点でも評価された。

しかし、MR-CT事業は画像診断事業であるため、旭化成の医薬・医療事業とシナジーが少ないという判断で、2010年に株式をシーメンス社に譲渡、100%シーメンス社の子会社となった。現在はシーメンスヘルスケア社となっている。

余談ではあるが、電子コンパス開発者の山下昌哉はこの事業の担当で、機器を設置する病院のまわりのいろいろな場所で地磁気を測っていたという。もし撤退していなければ、電子コンパスの発明はどうなっていたのか。結果論にはなるが、事業撤退という一つの大きな決断が、電子コンパスという大きな開発に繋がった事は運命的なものを感じる。

  • 旭Mark-J