社史編纂通信 vol.9 2020年11月旭化成の成長と展開、新たな挑戦

源流から現在まで。合併や商号変更などを繰り返しながら、時代とともに挑戦と変化を続けてきた旭化成の系譜をたどります。

曽木電気と日本窒素肥料、旭絹織から旭化成まで

旭化成の出発点は、1922年にレーヨン製造の目的で設立された旭絹織(創業)と同年に宮崎県延岡で建設を開始した、日本窒素肥料によるわが国最初のアンモニア合成工場の二つです。レーヨンとアンモニアは当初別々の企業として着手されましたが、いずれもその前年の1921年に技術者の野口さんがヨーロッパで結んだ技術提携契約を礎にしているという点で、起源をひとつにしています。

このレーヨンとアンモニアの2つの事業は、1933年に旭ベンベルグ絹糸に統合されました。そして旭ベンベルグ絹糸は、第二次世界大戦後の1946年に「旭化成」という、現在の社名となりました。

アンモニア工業は、高圧ガス反応や触媒反応という技術的な特徴からその後の石油化学につながり、レーヨン(人造絹糸)の製造・紡糸技術は、高分子化学の端緒であり、事業展開につながっていきました。

※1946年に旭化成工業となった以降は、グループ内の経営体制の変更による統合や分割は対象外、大型買収のみ記載しています。

日窒コンツェルン

日本窒素肥料を中心とする財閥のこと。特徴は、当時の最先端の技術を海外から導入し、ダム建設による水力発電により電力を確保し、大量に供給される電力を利用して工業生産を行ったことにあります。第二次世界大戦でほとんどの資産を喪失し、財閥解体の対象となりました。

今では全く別々の企業のようにみられている、信越化学、積水化学、積水ハウスも日本窒素肥料を源流とするいわば兄弟会社です。

組織の変遷

旭化成では、事業の多角化に対応して、組織の改革も行ってきました。
1959年に事業部制を導入し、事業分野ごとに製造から販売までを一体化することによって、事業の収益性を明確にし、合理的な管理を可能にしました。1971年には複数の事業を統括する事業本部制に変更しました。1982年には、繊維本部、化成品・ゴム事業部門、樹脂事業部門、建材化薬事業部門、住宅事業部門の5事業部門制に編成しました。

2001年には社内カンパニー制を導入、2003年にはケミカルズ、ライフ&リビング、せんい、建材、ホームズ、エレクトロニクス、ファーマの7分社と旭化成の分社・持株会社制に移行しました。

その後も、事業環境に合わせて2007年にライフ&リビングをケミカルズへ統合するとともにメディカルとクラレメディカルをファーマから分割し8事業会社に、2009年に持株会社の一部とエレクトロニクスの電子材料事業をイーマテリアルズとして分割し、9事業会社に変更。2012年にはクラレメディカルをメディカルに統合し8事業会社とするとともに、ゾール・メディカル社を買収し特別事業会社としました。

2016年にケミカルズ、せんい、イーマテリアルズを旭化成に吸収合併し、事業持株会社制に移行し、2020年にはヴェロキシス社を特別事業会社に加え、現在に至っています。